国会活動報告 参議院厚生労働委員会

2009年7月9日 臓器移植法改正A案修正案の趣旨説明及び答弁


谷博之は、「脳死を一律に人の死」とは認めないA案修正案を、有志代表として提出し、趣旨説明を行いました。

臓器移植法改正A案修正案のポイント    臓器移植法改正A案修正案

臓器移植法改正A案修正案要綱       臓器移植法改正A案修正案新旧対照表



171-参-厚生労働委員会-24号 2009年07月09日(未定稿)

○委員長(辻泰弘君) 臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案の修正について谷博之君から発言を求められておりますので、この際、これを許します。谷博之君。

○谷博之君 私は、臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案に対し、南野知惠子君、衛藤晟一君、西島英利君、小林正夫君、山本博司君及び私、谷博之の共同提案による修正の動議を提出いたします。
 その内容は、お手元に配付されております案文のとおりでございます。
 これより、その趣旨について御説明申し上げます。
 まず第一は、脳死の定義についてであります。臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案では、第六条第二項の脳死した者の身体の定義について、「その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって」との文言を削除することとしております。この文言は、平成九年の法制定時に参議院において提起され、脳死は人の死かという問いに対する国民の議論が分かれる中で、脳死を一律に人の死とせず、臓器提供を行う場合についてのみ、脳死を人の死とするという一つの結論を導き出し、修正議決に至った経緯があるものであります。そのような経過を経て追加された文言が今回の改正により削除されることで、一般的に脳死は人の死とされるのではないかといった懸念が、幅広い国民の間に広がっております。また、医療関係者の中には、脳死は人の死とはっきりさせるために削除すべきとの論議も見られるところであります。
 脳死は人の死とすることについては、ある世論調査において約六割が死と判定してもよいと回答しています。しかしながら、別の世論調査においては、半数以上の国民が臓器提供の場合に限り脳死を人の死とするという現在の枠組みを肯定しているといった結果も出ております。あわせて、本委員会における審査の中でも、医療や法曹の関係者や有識者の方々からも第六条第二項の定義については、現行法を踏襲すべきといった意見が多く述べられたところであります。こうしたことを踏まえると、国民的合意がいまだ形成されていない脳死は人の死を前提として脳死した者の身体の定義について改正することは適切ではなく、現行どおりにすべきであります。
 第二は、虐待に関してであります。改正案では、被虐待児からの臓器摘出を防止するための検討に関する項目は公布の日から起算して一年を経過した日から施行することとなっております。しかしこれでは、十五歳未満の者からの臓器提供が可能となる公布後一年経過後に初めて検討を開始することとなり、被虐待児からの臓器摘出を防止するための具体的方策が確立されないまま、児童から臓器が摘出されるおそれがあります。被虐待児については、臓器提供が実際に行われる改正の施行までの間に検討を行い、防止のための具体的方策に関する一定の結論を施行前に導き、それを踏まえた対応を速やかに行うことが必要であり、そのためには、公布後直ちに検討を開始することを定める修正が不可欠であります。
 第三に、児童の脳死判定についてであります。改正案にはこの点についての規定が全くありません。児童の脳死判定については、これまでの審議の中で明らかとなったように、成人とは異なる児童の特性に十分な配慮が必要であり、その視点に立った適正な脳死判定基準を定めるための修正が不可欠です。
 第四に、家族、遺族の心情への配慮についてであります。臓器の提供に当たっては、医療的側面だけではなくドナーをみとる家族の視点も重要です。愛する者を失った悲しみに加え、臓器提供という重い決断を迫られる家族の心情は察するに余りあり、脳死という事実を受容し、納得するために時間を要するのは当然のことであります。このような現実を踏まえ、法律の運用に当たって、臓器提供者の思い、とりわけ、我が子の思いを尊重したいという家族等の心情や、遺族が故人に寄り添う時間を求める心情等について十分に配慮することを規定するための修正が必要です。
 第五は、遺族の心のケアについてであります。遺族の心の葛藤は、臓器摘出のときのみならず、その後の生活においても続く場合があり、後悔の念にさいなまれたり、社会的、精神的な孤立を感じる遺族の方々もいらっしゃいます。にもかかわらず、現行の制度においては、こうした遺族を支える体制が十分とは言えません。遺族の苦悩を緩和するための支援について検討を行い、対策を講ずるための修正が必要であります。
 第六は、臓器移植の検証についてであります。脳死下での移植医療についての国民的理解は必ずしも十分とは言えません。そのため、脳死の判定の適正性、救命治療の状況など脳死の判定及び臓器の摘出の状況に関し、検証を遅滞なく行い、遺族の同意を得た上で公表することが、移植医療に関する透明性を確保する観点からも重要であります。そのような視点から、修正案は、事後の検証を法律上明記するものであります。
 第七に、今後、法律施行後における臓器移植の実施状況、医学・医療技術の進歩、国民意識の推移、改正法の定着度合いなどを踏まえ、施行後三年を目途として法律の全般的見直しを行う必要があります。
 このような認識の下、本修正案を提出するものであります。
 以下、提案する修正案の骨子を説明します。
 第一に、原案では、「脳死した者の身体」について定める第六条第二項の規定から「その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって」との文言を削ることとしておりますが、このような改正を行わず、現行どおりとすることとしております。
 第二に、検討等に関する修正であります。
 まず、虐待を受けた児童が死亡した場合に当該児童から臓器が提供されることのないようにするための検討に関する規定につきましては、原案では、公布の日から起算して一年を経過した日から施行することとしておりますが、公布の日から施行することとしております。
 また、検討等に関し、次の五項目を追加しております。
 一項目めとして、臓器の摘出に係る脳死の判定についての厚生労働省令は、児童についての臓器の摘出に係る脳死の判定に関しては、児童の身体の特性に関する医学的知見を十分に踏まえて定められるものとしております。
 二項目めとして、政府は、新法の適用に当たっては、臓器の摘出に係る脳死の判定及び臓器の摘出に関する当該者、特に当該児童の思いをその者の家族又は遺族が尊重する等のこれらに関するその者の家族又は遺族の心情が十分に配慮されるとともに、遺族が臓器が摘出されることとなる者に寄り添う時間を求める等の遺族の心情が十分に配慮されるようにするものとしております。
 三項目めとして、政府は、臓器の摘出が遺族に心理的影響を及ぼした場合においてこれが緩和されるよう、当該遺族に対する適切な支援について検討を加え、その結果に基づいて必要な措置を講ずるものとしております。
 四項目めとして、政府は、当分の間、新法による脳死の判定の状況及び新法による臓器の摘出の状況に関し検証を行い、その結果を遺族の同意を得た上で公表するものとしております。
 五項目めとして、新法による臓器の移植については、この法律の施行後三年を目途として、新法の施行の状況を勘案し、その全般について検討が加えられ、その結果に基づいて必要な措置が講ぜられるべきものとしております。
 なお、一項目めから三項目めまでは公布の日から、四項目め及び五項目めは公布の日から起算して一年を経過した日から施行することとしております。
 以上が修正案の趣旨説明であります。
 何とぞ委員各位の御賛同を賜りますようお願い申し上げます。

○小池晃君 日本共産党の小池晃です。
 修正案提出者に二点お伺いをしたいと思うんですが、脳死を人の死とすることについては、国民的な合意がないからこの部分は現行法のとおりにするという御説明がありました。しかし、本人同意を必要としないということについては、これはA案のとおりになっているわけであります。脳死を人の死とすることに対しては国民的な合意はないけれども、では本人同意だけで脳死判定をし臓器摘出をすることについては、じゃ、国民的合意があるというふうにお考えなのか。だとすれば、脳死は人の死であるということについては国民的合意があるけれども、本人同意なしに臓器摘出ができる、脳死判定ができることについての国民的合意があるとする根拠は一体何なのか、御説明をいただきたいということが一点です。
 それから二点目は、虐待の防止についての具体的な方策を確立するということが附則にあるわけですが、虐待の防止のための具体的な方策は大事なことだと思うんですが、この法律の仕組みで、施行日までにでは被虐待児からの臓器摘出を防止するための具体的方策が確立されない場合はどう対応されるのか、施行日までにこれを確立する、そのための手だてというのは何らかなされているのか、その法的な担保というのはあるのかないのか、御説明をいただきたいと思います。

○谷博之君 今の児童虐待の関係のことでありますけれども、A案では、附則第五項を公布の日から一年を経過した日から施行するとしておりますけれども、これでは死亡した児童からの臓器の摘出が可能になると同時に検討を開始するということになって、被虐待児からの臓器摘出を防止するための具体的な方策が確立されないままに死亡した児童から臓器が摘出されるというおそれがあります。
 したがって、そこで、死亡した児童からの臓器の摘出が行われることが可能となる法改正の施行までの間に検討を行い、防止のための具体的方策に関して一定の結論を導いて、それらを踏まえた対応を速やかに行うためこの規定を公布の日から施行することとしているところであります。

○亀井亜紀子君 議論の整理をさせてください。
 脳死は一般に人の死であると、一般にという言葉を私は使います。一律にという言葉もありますけれども、ちょっと強いので、脳死は一般に人の死であるという一つの命題があります。
 そして、私の理解は、A案の原案の提出者の方は皆さんそう思っていらっしゃる。世の中、世論がどうであろうとも、取りあえず皆様は脳死は一般に人の死であると思っておられる。そして、その理解は、この臓器移植法が初めに制定されたときよりも広がっていると思うから、だから、脳死した者の体の定義を今の理解に近づけたいと思って六条二項を削除したというふうに私は理解しております。
 これは一昨日の御答弁の中でも、脳死した者の体の定義についてもこのような考え方により、ふさわしい表現に改めたいという意図がございます。ですから、削除することによって今の一般的な脳死は人の死であるという理解に近づく、これを削除することによって近づいていく、ここに私は、法律を改正することによって脳死は一般に人の死であるということの命題の方をそちらに向かって誘導するような意図があるのではないかと、それを懸念しておりますけれども、いずれにしても、今の理解はそうであって、それに条文を改めるのだ、だから削除するのだという論理だろうと思います。
 それに対して修正案の提出者の方は、脳死は一般的に人の死とは言えない、そう思っている人は国民にたくさんいるので、まだ一般的に理解を得られていない。ですから、脳死は一般に人の死ではないというところからスタートします。
 ですから、前提とする、脳死は人の死であるがAだとして、そこのAの論理の起点が違います。普通、そこで証明していくと違う方向に行くんですけれども、残りは同じということですから、同じところに結論が行き着くわけですね。そうすると、別の論理が必要になるんだろうと思います。
 ですから、脳死は一般的に人の死だとは社会に認められていないし、私たちもそうとは思っていません。けれども、そうすると、目の前にある脳死した者の体は、身体は死体ではないんですね。だれかがそれを決めなければいけない。今まではその根拠として、本人の意思、それもドナーカードという物的証拠によってそこは証明されていました。今度それを拡大して、判断する人の対象が家族にまで行きます。そうすると家族は、この家族の体、脳死した者の体をそもそも死体とするかどうかというところから判断をしなければいけなくなります。
 これは大きな違いだと思うんですけれども、まずそのことについて、私は国民の理解はまだ得られていないように思っております。先ほどの質問でも、平成二十年の内閣府の世論調査で賛成は五四%ということは、残りはまだ迷っているか反対なんですね。その段階で、このように改正するということは妥当でしょうか。

○衛藤晟一君 元々、この法律は臓器移植法としてまだ完全に合意が得られていないと。だから、医療現場においては臨床的脳死であってもすぐ人工呼吸器を外すということにならないんですね。でも、医学的に見て、それが全部合意が得られているとするならば、それは本来であればお医者さんの一存で外せるはずですね。
 しかし、そこまで全体的な……(発言する者あり)いやいや、いやいや、だから完全な死だということがその時点で認定されれば、しかし、そこまでが合意されていないから、脳死は一般的に人の死だと思う人もいればいろんな人もいて、そう思う人はたくさんあるかもしれないけれども、現状の我が国における手続的にはそういう具合になっていないんですね、まだ。だからこそ、臓器移植法としてこれを特別枠としてつくってその中でやったんであって、だからその中に、だからこそA案提出者も今までこれは他に影響を与える法律ではないということを何度も言ってきたはずなんですね。それなのに、提案理由、何か答弁のときにそういう表現を使うから、脳死は人の死であるということを前提としてこれをしたというから、ところが法律の中身はそんなに変えていないんですよね。そういう具合にはなっていないんですよ。しかしながら、その前提はこうですよ、こうですよといってこれが独り歩きしていますということを言っているんです。
 だから、今私どもはそこについて、前提としなければいけないとか前提であるというようなことは一切言っていないんです。これは臓器移植に関してということだけの法律ですから、そのことだけを言っているんです。だから、そんないろいろな考え方もあるんですよ。しかしながら、元々そこだけ決めた法律なのに対して、いわゆる要らないことを言う、こんなことを言ったら悪いんだけれども、要らないことを言うから混乱を与えただけなんです、実際は。そういうことなんですよ、実態は。
 そして、先ほどから言いますように、それじゃ百歩下がって、その前提だと言った中身も本当にどうですかといったら、この調査を見ても合意されていますというけれども、現実の今の取扱いは違うでしょうと。それから、考え方としても脳死を一般的な人の死とすることについてどう思うかという質問に対して、人の死として認めるべきだというのが二八%で、それから臓器提供の意思を有している人に限るべきだというのは五二%という具合に出てきていますから、一般の扱いはまだ違うし、それが完全に合意ができたとも言えないんですから、余りそういう、本当に合意されたと一方的に言うかもしれませんけれども、合意されていないことを前提だとか、要らないことを言わない方がいいと思いますよと。それはそうなんだ、実際ですね。

○谷博之君 今、亀井議員からの御質問は、いわゆる修正案が、いわゆる脳死は一般に人の死であるという立場に立たないということなのか立つということなのかと、ここだというふうに今質問で聞いたわけですが、今前段の答弁は、衛藤議員から御説明があったとおりで、我々修正案の提出者は脳死は一般に人の死であるかどうかについて国民的合意が形成されているとは言い難い現状にあると、こういう認識であります。そして、脳死は一般的に人の死であるという考え方を前提とする第六条第二項の改正は行うべきではない、こういうことですね。
 そして、臓器移植の場合に限って脳死は人の死であるという立場からはもちろんのことですけれども、脳死は一般的に人の死であるという立場からも第六条第二項の規定を現行どおりにすることは何ら不都合はないと、こういう考え方でおります。

○亀井亜紀子君 修正案の提出者の方が今おっしゃっている意味は分かります。つまり、私に近いですけれども、脳死は一般に人の死であるということはまだ国民的理解が得られていないので現行法をいじるのは問題があると。それは分かります。けれども、改正案の中では変わることは、今までは本人の同意のみでよかったところが本人が拒否をしていなければ家族がそんたくして今度は判断ができるわけですから、そこの合意は社会的にまだ得られていないと私は思っておりますけれども、それはいかがなものでしょうか。もっと言ってしまえば訴訟につながったりしないでしょうかという心配もしております。
 ですから、家族が目の前の脳死患者の命を終わらせるかどうかというところの決断まで入ってしまうわけですね。ですから、その辺の説明なんですが。

○谷博之君 この点については、これまた我々が修正案を提出するに当たって議論をした中の根底というか、いわゆるその判断になった新聞社の世論調査ですね。例えば、家族の承諾による臓器の提供については、新聞社の世論調査によると、本人の意思が分からない場合、家族が承諾すれば提供を認めるべきだとの意見に、賛成が六二%、そして反対が一九%といった結果が示されていると。
 そしてまた、小児が海外に渡航して大変な費用を掛けて、そして臓器移植を受ける、こういうことについては、多くの国民から寄附が寄せられたり支援金が集められるという、こういうことを考えてみると、本人の意思表示がなくても、家族の承諾によって法的な脳死判定を受けることについて、国民的合意は形成されつつあるというふうに我々は判断をしています。
 だから、このようなことから、本人が意思表示をしている場合に、法的脳死判定を受けることを家族が承諾し得ることとする第六条第三項の改正については、修正の必要はないというふうに考えております。

○谷博之君 今の谷岡先生の最後の結論のお話を聞いておりまして、まず、この臓器移植法の一番の根底は、やっぱりドナーとなる御本人自身が自らの意思で元気なときに自分の意思表示をする、そしてドナーとして自分が登録する意思を表明する、あるいはそれを拒否をする、これがやはり私はこれからも、どういう状況になってもやっぱりそこが原則であり、一番大事なところだということは私自身も考えております。
 ただ、そのために、したがって、これからもやっぱり本人の意思表示をもっともっと、現状では全体としてまだ意思表示をしている人が五%も行かないという今の状況を考えたときに、ほとんど意思表示をしていないという方が多い中で、やっぱり本人の意思を尊重していくという、そういう働きかけなり取組というのはやっぱりしていかなければいけないだろうと。そういうことがあって、その中で、最終的に意思表示のしていない方、あるいは全くそういう意味では関心を持たなかった方もたくさんいると思いますが、そういう方々に対しての、脳死状態になってこういう移植という現実の問題になってきたときにどうするかということについて、今回の改正案の中でA案、そして我々修正案が出されて、そういう議論をしているということでありますので、谷岡先生のその御指摘は十分重く受けていきたいと思っております。

○亀井亜紀子君 A案の提出者と修正案の提出者と双方の方にお伺いしたいと思いますが、これは倫理観も含めてお伺いをいたします。
 今回の議論が非常に複雑なことになっているのは、答弁がぶれるということもあるんですけれども、そもそもまず改正ありきになっているからなのではないかと思います。今、小池委員がおっしゃったこともありますが、まず改正ありきで、急がなければならない、この国会中に結論を出さなければならないというところから始まっていて、そしてその根底には、やはり臓器提供の数が少ない、移植できる臓器の数が少ないのは大変問題である、また、小児が海外渡航して臓器移植の手術をしなければならないこの現状は問題である、だから変えねばならない。つまり、使える臓器の数を増やさねばならない、そして国際基準にしなければならない、死の定義に関してもグローバルスタンダードに合わせなければならないというところからスタートをしているような気がするんです。
 ですから、根底の考え方として、もうそこはそうなんですと、数を増やさなければいけない、グローバルスタンダードに合わせるべきだと考えておられるんではないかと、そこの点に関しては恐らくA案の方も修正案の提出者の方も変わらないと思うので、まずそれはお伺いしたいと思います。
 なぜ私がこういう質問をするかといいますと、初めに臓器移植法が出てきたときに、制定されたときに、やはり国民の倫理観として、まず脳死は人の死であると認められないという部分があり、そして、まだ亡くなってもいない人から臓器を取ってほかの人にあげてもいいものでしょうか、倫理的にという質問が、疑問があったんだと思います。
 ですから、一昨日私が申しましたとおり、人を殺してはいけない、人の物を取ってはいけないというこの二つのかなり原則を、臓器移植の場合は良いこととしましょうと破るわけですから、それに対する何らかの説明は必要だったわけです。そのときに、臓器をただ提供したいという人がいて、受けたいという人がいる、その双方の権利を保障するためにドナーカードという仕組みを入れて、そして、あげたいという人に関してはその仕組みを保障してあげましょうと、また、家族が後に悩まないようにそうしたんだろうと思いますね。
 ですから、一つの、特にまた六条二項というのも免罪符のような部分があったんだと思います。今それを外そうとしているから社会問題になっているので、それが私は一つの背景だろうと思うんですが、いずれにしてもドナーの数は足りないと思います。改正をされてA案になっても、やはり足りないと思うんです。そうすると、いつか、やはり日本ではこんなに件数がありません、海外ではこれだけあります、何が問題なのか、また、何とかして増やさなければならないというその欲求から立法がスタートするような気もいたします。
 ですので、そもそもですけれど、急いで臓器の数を増やさねばならないのか、こういった臓器移植に関して国際基準に近づかなければいけないのか、それをなるべく早くこの国会でやらなければいけないのかというその問題意識について、双方の提出者にお伺いいたします。

○衆議院議員(福島豊君) まず、今急いでという御指摘ですけれども、A案の提出をめぐって私どもが作業を始めましたのは四年前の話であります。四年前のあの郵政解散の前に法案の提出をさせていただきました。そして、一方でWHOの動きもありますけれども、海外の渡航移植、これをどうするんだということに対して、外国から日本に対して厳しい目が向けられているということは事実だと私は思います。
 厳しい目を向けられる向けられないということを抜きにしても、海外の方の臓器移植を受けて命を得る機会を日本人が奪っている、これは果たして公正なことだろうかと、こういう意見は私は当たっているというふうに思うんです。また、そのときに巨額の費用が要るということもあります。最近は、その値段も上がったという話もあります。一方でさらに、先ほどのあの生体間の話もありますけれども、臓器売買の話もないわけではないと伺っています。これは、海外での渡航移植ということが一つは遠因になって生じてきているところもあるんでしょう。
 こういった現実を前にしたときに、今立法府として何をすべきかという話でありまして、臓器の数をただただ増やすんだと、こういう意識だけでは全くないということだというふうに申し上げておきたいと思います。
 また、現行法の構成は、審議の中で、脳死を一律人の死としないという考え方ということに十分配慮しながら修正がなされたわけです。ただ、現に臓器提供されておられる方々おりますね。これは、生きておるけれども臓器提供が必要だからそれをしますという意識で私はされているわけでは決してないと思います。それは、脳死が人の死であるということを受け入れた上で受け入れている人もたくさんいるわけです。受け入れてない人もいます。その上で進められているのであって、それは、生きているけれども臓器提供をすると、これはこういう議論もありました、十年前ですけれどもね、違法性が阻却されると。そういう論理に基づいて恐らくされているんでは僕はないと思います。それは詳細私も聞いたことありませんけれども、それは脳死を人の死として受け入れている。
 ただ、現行のこの議論の中で、ですから、先ほどの問題意識があって、十年間やってきました、八十例を超える移植もできました。家族の同意で本人の意思が明確でない場合がある、そのときにどうするか、家族の同意でこれはしてもいいんじゃないかと。先ほども衛藤先生の方からありますように、そのことについて私は多くの国民はかなり理解をされているんじゃないかというふうに思うんです。この十年間の経過ということを踏まえた上で今何をなすべきかということで御判断をいただければと思います。

○谷博之君 今A案提出者の方からも御説明ございましたが、振り返りますと、この現行法が制定したときに参議院で修正をしたわけですけれども、そのときの思いというのは、やはり我々も、今もそういう考え方は基本的に尊重しなきゃいけないだろうという思いがあります。
 とは申せ、それはそれでもちろんそういうことなんですけれども、現状のいわゆる国民的な理解といいますか、臓器移植に向けての世論調査なんかを見ておりましても、ある世論調査では約六割の人が死と判定してもよいというふうに回答しています。また、別の世論調査でも半数以上の国民が臓器提供の場合に限り脳死を人の死とするという現在の枠組みを肯定しているという結果もあります。
 こういうずっと今日までの流れの中で、現行法が三年後の見直しという規定を入れているわけですけれども、そういう状況の中でもう八年余経過してきた中で改めてもろもろのそういう、移植の件数がもちろん八十数例という本当に全体として少ない状況だということも考えながら、いわゆるレシピエントの方々が、特に心臓でそういう移植を待ち望んでおる方もおられるというそういう状況の中に我々は遭遇したときに、ドナー側とレシピエント側との思いを先ほどお話ありましたように考えたときに、今回の、十一年前の参議院における修正案を尊重しながら、臓器移植に限ってと、その部分のやっぱりこととして私どもは今回の修正案を出させていただいたと、こういうことであります。

○森ゆうこ君 谷議員にお聞きをしたいんですが、子供の脳死臨調のようなものを検討するかのごとくなっているんですね、これ修正案は。しかし、根本的に考え方が決定的に違うんですよ。
 我々は、やはりそれぞれの大人も今は個人の自己決定権が尊重された、現行法はそうなっています。まずはリビングウイル、本人が生前にドナーカードにちゃんとイエスを書いてあるかどうかということがなければそもそも話はスタートしないわけですから、現行法は大人はそうなっている。しかし、子供に法的な意思能力がないということで、子供についてどうするのか。そのことについてきちんと、我々の予算関連法案で出させていただいたこの子どもの脳死臨調法案の中で子どもの脳死臨調が設置されれば、そこで子供の自己決定権、そして、これを尊重しながら子供の臓器提供が可能となるためには、親の関与というものはどのようにしていけば認められるものか、そこについての条件というものをきちんと様々な専門家から検討していただく、非常にこれが重要な点だと思うんですが、それは修正案には全く入っていないんですね。
 幾つかあるんですが、まず一問聞いていいですか。

○委員長(辻泰弘君) 時間の制約がありますので、まとめて聞いていただいた方がいいかもしれません。

○森ゆうこ君 まとめて聞いた方がいいですか。
 それで、谷委員は、難病の皆さん、障害者の皆さん、この政策の民主党のリーダーとして頑張ってこられまして、昨日も当委員会で、このA案が可決された場合に、いわゆる意思決定、自分の意思を外に出すことがなかなか難しい、あるいはその過程において情報を得ることがなかなか難しい障害者の皆さんがA案が成立後もドナーとなることは除外されるということにこだわって質問をされていました。つまり、自己決定を非常に重要にして、そして、それがきちんと表明できない人に対して物すごく気遣って昨日の質問があったんだと思います。
 しかし、同じように自己決定ということが外になかなか示せない、法的な意思能力がない子供のこの臓器提供について、きちんと検討することもなく、なぜすぐにオーケーにしてしまうんですか。私はこれはどうしても理解できないんですが、きちんとした説明をいただきたいと思います。
 そして、あわせて、今朝の朝日新聞で、このインタビューを見ますと、要するに、私も柳田筆頭理事がおっしゃったようにA案は反対ですが、それなりに筋は通っている。脳死は人の死が前提である。だから、死体について、家族が臓器を提供するかどうか、本人の生前の意思は分からないけれども家族の同意だけでオーケーにできるといった、その理論は、反対だけれども、筋は通っていると思う。でも、その前提を外して、なおも家族の同意だけで臓器が提供できるというのは私全然理解できません。この点について聞かれまして、谷委員は、それなら現行法でもいいのではというと、「そこまでやると、B、C、D案と同じ。そうすると、修正案ではなく対案。結果論だが、参議院でも対案をつくるべきだったかも知れない」というふうに考えていらっしゃると。これは今朝のインタビュー記事でございます。
 ちょっと理解に苦しむんですけれども、この自己決定権を尊重するということに関して、なぜ子供のことについてきちんとした検討事項の中に入れられなかったのか、なぜこの一つの項目だけを外されたのか、お聞きをいたしたいと思います。

○谷博之君 私の今日のあの新聞の記事なども取り上げていただいて御指摘がありました。
 冒頭申し上げますが、先生方も皆さんそうだと思いますが、先ほど来出ておりますように、A案、E案というそういう状況の中で、あるいは今回修正案を出しましたが、そういう一人一人の思いというのは今日ここまで来るまでの間に様々な経過、過程があると思います。そういう大変な大きな、悩んだり、いろんな立場を背負って今日まで来ている。もちろん、一貫してA案、E案として頑張ってきておられる方もおられますけれども、私はなかなかそういう立場ではありませんでした。その御指摘をいただいたのが今、森委員が御指摘いただいた、そういう部分も確かにあったと思います。しかし、少なくとも政治家として、この法案を我々がどうするかという立場になったときに、それはやっぱり自らが最終的に自分の立場というものを明らかにしていかなければいけない、それが今回私が取った決断であります。
 特に児童については、ちょっと申し上げますと、特に十五歳未満の児童であるために有効な意思表示をすることができない場合にあっても、家族又は遺族が本人の脳死の判定又は臓器の移植に関する思いを尊重したいと願うことは大いに考えられると。つまり、子供であっても何らかの意思表示をする場合も私はそれまでにあったんではないか、そういうケースもあるんではないかというふうに思います。そういうことも含めて、最終的に家族が自分の子供に対してその臓器提供の意思を、是非を決めるということになるんだと思うんです。
 もう一つ、重度の障害者の方々の立場についても、私も質問の中でさせていただきました。
 これは、まさにそういう立場に置かれている方々の思いがあって、そういう方々がまさに権利として生きていくことを保障されるということがやっぱり確立されなければいけない、そういう思いを私はしっかり持っております。
 したがって、そういう方々ともいろんなところで話をしておりますけれども、一方では、同じ障害を持つ、そういう心臓移植を待っているレシピエントの皆さん方なども含めて同様のやっぱり方々もおられる。そういういろんな立場の中で、最終的に家族の方で判断をして、最終的に臓器を提供するということがやっぱり理解をされて、そういう手続を踏んでいくということになれば、特に障害者の皆さん方についても、そういう立場を尊重し、拒否する人についてはしっかり拒否をしてもらう、そしてそのことをこれからもずっと続けていくという、こういう前提をまず確立をしながらこの改正に踏み切っていく必要があるんじゃないかなと、こういうような判断をいたしました。

○谷博之君 先ほど森委員からの御質問で、私、一点だけ答弁が漏れていたと思いますが、児童の脳死判定基準について、E案では一年間掛けてということでありますが、この修正案の立場ではどう考えているのかということでありますけれども、簡単にというか、説明させていただきますと、A案によって十五歳未満の児童についても臓器の摘出及び脳死の判定が可能となるけれども、児童、特に年少者については脳の障害に対する抵抗力が強いという特性があるとされておりまして、現行の厚生労働省令で定める脳死の判定に関する事項はそのままでは児童に適用することができないと考えています。
 例えば、施行規則の第二条第一項では、六歳未満の者については脳死の判定を行わないこととされており、現行の規定を見直す必要があると。このため、この修正案では、臓器の摘出に係る脳死の判定についての厚生労働省令は、児童についての臓器の摘出に係る脳死の判定に関しては、児童の身体の特性に係る医学的知見を十分に踏まえて定められなければならないと。
 そして、結論ですが、その結果、厚生労働省令においては、このような児童の身体の特性に関する医学的知見を十分に踏まえて定めなければならないと、このように考えております。



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