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171-参-厚生労働委員会-21号 2009年07月02日(未定稿)
○谷博之君 もう時間ですから端的に加藤参考人に一点だけお伺いしたいんですけれども、過去の臓器移植の事例の中で、必ずしも脳死判定基準とかあるいはガイドラインを守って現実にやったのかどうかということを疑問視している、指摘している人も中にはおります。そういうことに対して、運用上の問題として、そういう家族とか、実際に移植が行われた例とか、あるいはそこまで至らなかった例も含めて、そういうことについての訴え等について、それを対応できる第三者機関とかあるいは行政の窓口を置いた方がいいという、そういうことを言っている方もおられるんですが、これは先ほどのいろんな説明には入っていないことなんですけれども、そういうことについての何か御議論なりお考えがあればということで、お聞きします。
○参考人(加藤高志君) 端的に、そういった設置をすべきだと思います。
今日お配りいただいた関連資料、第百七十一回国会と左上に書かれている資料の通しページの四十三ページ辺りから、過去のいわゆる臓器移植例について日弁連が人権侵害の問題があるのではないかというふうに勧告した例がございました。当初の高知の日赤であるとか大阪府立千里救命救急センター等についてはかなりの情報は開示されまして、手順に問題があったということで、病院の方もまだ十分浸透していなかったということで改められたということございました。
ただ、その後の症例については十分な情報といいますかデータが我々弁護士会、もう分からなくなりましたので、適正にされているかどうか自身が十分我々として検証できない。その意味で、これから臓器移植をきちんと社会が評価するあるいは理解する意味では、そういったものを検証する機関の設置は必要だというふうに、先生の御指摘のとおりだと思います。
以上です。
○谷博之君 もう時間が来ていますから簡潔に柳田先生にお伺いしたいんですが、これ、私の体験をちょっと申し上げたいんですけれども、ある臓器移植患者団体が毎年街頭に出て、いわゆる臓器移植の趣旨を書いてドナーのいわゆる登録の協力を要請する、そういう行動をやっているんです。私もそういうところに患者団体の方と一緒に参加することがあるんですが、比較的若い人たちはそういうときに協力してくれます。
問題は、そういう方々、非常にこれはいいことだと思うんですけれども、ただ、それが、例えば家族の中でそういうドナーに登録したとかそういうふうな話が果たして具体的にされているのかなとか、それで、瞬間的にそういうチラシを見て自分はそういう気持ちになって、じゃ協力しようというふうになったとしても、万が一そのことが家族は分からなくて、本人だけで決めてしまっていたと。それが、こういう脳死状態になったときにそこが問題になってくるわけですけれども。
先生が今九人の方にお会いしたとおっしゃいましたですね、ドナーの、提供された遺族の方ですか。そういう中で、今私申し上げたようなそういう、いわゆる病院の現場でそういうことを初めてその家族の人が知らされたとか、ドナーに登録しているというようなことを。そういうことについて何か、聴き取りの中でそういうお話を聞いたとか、そういうことはございませんでしたですか。皆さん、全部分かっていましたですか。
○参考人(柳田邦男君) 最後のところがちょっと聞きにくかったんですが。
○谷博之君 ですから、脳死状態で、いよいよ家族がどうするかというふうなことになったときに、ドナーの患者さんがドナーに登録していたということを初めて家族が知ったとか、そういうふうなことじゃなくて、もう前々からそういうドナーに登録しているということを調査したというか、聴き取った家族の方々は、皆さんはもう最初から分かっていたわけでしょうか。
○参考人(柳田邦男君) 九家族を面接したのは専門家でございます。精神科医あるいは臨床心理士二名です。必ず二名一緒に行っております。その報告は聞いております。それは、作業班というクローズドなミーティングでずっと詰めてやっておりますので、非常にリアルな話を聞いております。私は面接したわけじゃないので。
それから、九例に限らず全体的傾向として、ドナーカードを持っていたから調査したとか、そういうことではなくて、両者はほぼ半々と考えていただければいいと思います。土壇場になって初めてドナーカードを持っていたのを知ってどうしようというふうに決断を迫られるという家族と、持っているのを知っていて、そして決断を迫られる家族と、両方です。
それから、ドナーカードを持っているのを知っていてもなおかつ迷う家族が多いということです。いざここで署名すれば体に傷を付けるとか、あるいはまだ人工呼吸器の助けを借りているとはいえ、動いている生体に傷を付けていいんだろうかとか、いろいろとそこで煩悶し葛藤いたします。そういうのが実態でございます。
それから、若い人が比較的協力するという、これは結構なことで、特に大学とか、大学祭や何かで宣伝しますと協力者が多いんですね。大いにそうした普及活動は進めるのは望まれると思いますけれど。
もう一つ大事なことは、本当に自分がその身になったら、あるいは自分の愛する連れ合いなり子供なりがそうなったら、あなたはどうしますかというこの問いを同時にしておかないと、ただ人道主義的にカードを持とうとか、ましてこれからカードなしでもいいということになりますと、その辺りのことが、逆に家族として今度直面したときにどうするんだろうかということが、カードがあれば議論する、家族間で議論した例もその八十一例の中には何例かあります。家族で議論して、最初のうちはそんなことはと反対した家族も、いろいろと議論しているうちに同意をして、それじゃお母さんも持つわというような、そういう家族もあります。こういう場合には比較的受容とそれからそのグリーフワークもいいんですけれども、いきなりというのが一番後に尾を引くんですね。そういった意味で、本当に自分がその身になったらということをいつも考えるような、そういう普及法でないと、いざというときに役立たないというか、むしろ困惑する。
ですから、カードをなくするということは、臓器を取りやすくするというような意味でそうやるんでしょうけれども、しかし本当にそれがいいんだろうか。死のみとりあるいは家族のその後の喪失体験後の生き方、それでドナーカードという何かそこに柱を外しちゃうみたいな、そういう意味を持つんではないかというのが、この心情調査から感じたことでございます。
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